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むろつぇっく エーリッヒ・ムロツェック
1910年、コーブルクに生まれる。1929−31年、デッサウ・バウハウスに在学。アルバースの予備課程を受講後、印刷・広告工房で学ぶ。クレー、カンディンスキー、ペーターハンスの授業を受講。1933年、コーブルク、シュトゥットガルト、ノイヴィートの織物会社、および印刷工場で、技術者として働く。戦後も、出版社や印刷工場で技術者として活躍。コーブルクに在住。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
アンデパンダン展とは?【 美術用語 】 1884年の春、スーラ、シニャック、ルドン、ギヨーマンなどを含むフランスの反アカデミズムの画家やサロン落選画家たちが独立芸術家集団を組織、同年夏に改組し独立芸術家協会(Societes des Artistes Independants)を結成し、年末に第1回展を開催。その目的は、所定の会費を払えば誰でも出品できる鑑査機構なしの展覧会を組織することにあった。アンリ・ルソー、ゴッホ、ロートレック、セザンヌ、マティス等もしばしば出品するなど、印象派より若い世代の画家の多くがこの展覧会と関連し、20世紀の初めまで重要な美術動向の舞台となった。我が国においても、第2次大戦前に童心芸術社と二科展主催のものがあったが、1946年に日本美術会が設立され、民主的立場に立った日本アンデパンダン展を開催。これとは別に1949年、読売新聞社主催で同名の展覧会が開始され、しばらくは並例して進んだが読売アンデパンダンと改め、63年ダダ化が進むなかで中止に至る。 |
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