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しゅみっと ヨースト・シュミット
1893年、ハノーファー近郊のヴンストオルフに生まれる。1919年、ワイマール・バウハウスに入学し、木彫工房で学ぶ。1925年、バウハウスのマイスターとなり、30年まで彫塑工房を担当するが、特に28年以降は、予備課程および印刷・広告工房でタイポグラフィーを指導する。1932年、バウハウスを去る。1935年、ベルリンの国立美術学校教授に任命され、戦後に至るまで教鞭をとる。1948年、ニュルンベルクで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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