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りんでぃっひ オットー・リンディッヒ
1895年、テユーリンゲン地方のペスネックに生まれる。1919−25年、ワイマール・バウハウスに在籍するが、20年からドルンブルクのマックス・クレーハンの陶器工房で学ぶ。1926年、マイスター資格試験に合格し、30年ワイマール建築大学が閉鎖されるまで、陶芸科(ドルンブルク陶器工房)の主任を務める。1931年、ドルンブルク陶器友の会を結成し、工房で指導を続ける。1947−60年、ハンブルク芸術大学の陶芸科で指導する。1961年、ハンブルクで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
望月玉泉とは?【 作家名 】 京都に生まれる。祖父玉仙、父玉川ともに望月派を継ぐ画家で、父に学び、その没後家督を継いだ。本名重岑、字は主一、通称駿三。安政年間の御所再建に際して襖絵を制作。京都府画学校設立の運動に参加し、明治13年(1880)に同校が開設されると東宗(日本の写生画、大和絵など)の副教員となる。また、明治15年(1882)の第一回内国絵画共進会で褒状を得るなど、同展や内国勧業博覧会などで受賞を重ねた。明治22年(1889)パリ万国博覧会や同26年(1893)のシカゴ万国博覧会でも受賞。明治37年(1904)帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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