1919年、冬学期からワイマール・
バウハウスに入学し、
イッテンと
ファイニンガーの授業を受ける。1920年、冬学期から
バウハウス陶器工房(ドルンブルク)の徒弟となる。1923年、「
バウハウス展」のために陶器の量産
モデルを制作。1924年、ドルンブルクを去り、27年にはマリア・ラーハにあるベネディクト会大修道院に入り、神学と哲学を学ぶ。1929年、陶器作品がマリア・ラーハの芸術工房「アルス・リトゥルギカ」に認められる。1939−48年、マリア・ラーハのベネディクト会大修道院長に就任。48年からは「アルス・リトゥルギカ」の工房と出版の監督をする。1951年、陶磁器工場のために種々の作品を制作するようになる。1968年、マリア・ラーハで死去。(「
バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)