ぐるぐるアートワード
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版画集〈壁〉9. 壁と旅人たち



版画集〈壁〉10. 壁の前で用を足す犬



版画集〈壁〉11. 壁と横たわる人



版画集〈壁〉12. 壁と告示



版画集〈壁〉13. はげ落ちた壁



版画集〈詩畫集 蟻のいる顔〉3. ピケの残像



版画集〈博物誌〉25.夫婦のダイヤモンド



版画集〈マルドロールの歌〉4



版画集〈マルドロールの歌〉5



版画集〈マルドロールの歌〉18



版画集〈モニュメント・タバコ〉I



版画集〈リルケ『マルテの手記』より:一行の詩のためには…〉17. 愛にみちた多くの夜の回想



〈版画集〉1



〈版画集〉2



〈版画集〉3



〈版画集〉4



〈版画集〉5



版画集〈『悪の華』のために版刻された14図〉13.〈放蕩〉と〈死〉は…



版画集〈エルサレムの攻略〉1.裸婦



版画集〈エルサレムの攻略〉2.頭蓋骨のある静物


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ぐろびうす

ヴァルター・グロピウス

1883年、ベルリンに生まれる。1903年、ミュンヘンエ科大学で建築を学び始める。1905−07年、ベルリンエ科大学で建築を学ぶ。1908−10年、ベルリンのペーター・ベーレンスの事務所で助手を務める。1910年、ベルリンに設計事務所を開設。1911年、ドイツエ作連盟の会員となる。1912年、ドイツ建築家連盟の会員となる。1919年、ワイマールのザクセン大公立工芸大学と同美術大学の学長に任命され、学校名を「ワイマール国立バウハウス」と改称する。1921−25年、家具工房の形態マイスターを務める。1925年、ワイマール・バウハウス閉鎖後、移転先のデッサウで新たな校舎とマイスターハウス(教員住宅)を設計する。1928年、バウハウスの校長を辞し、ベルリンに建築事務所を開設する。1937年、ハーヴァード大学大学院建築学科教授となる。1938年、ニューヨーク近代美術館主催「バウハウス1919−1928」展を企画する。1938−41年、ブロイヤーと共同で建築事務所(マサチューセッツ州ケンブリッジ)を経営する。1964−65年、ダルムシュタットにバウハウス・アルヒーフを設計する(後ベルリンに移転)。1969年、ボストンで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)


カテゴリー:作家
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ダダとは?【 美術用語 】

第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンストアルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスム抽象表現主義への道をひらいた。

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徳島県立近代美術館2006