ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


ボワスリエ



ボンズ



ボンフィス



ボンボニエール



ボーヴァルレ



ボークラー



ボーシャン



ボードローブとプレイスクリーン・アンサンブル



Point Blank No.1



ポストカード〈芸術家の館〉



ポップ・アート



ポララ



ポラロイドカメラ



ポルポラティ



ポロック



ポン・タヴェン派



ポンティ



ポンパドゥール侯爵婦人[モーリス=クァンタン・ド・ラトゥールの原画による]



ポーター



肖像(少年1)


<前 (148/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


しゅてるつる

グンタ・シュテルツル

1897年、ミュンヘンに生まれる。1919−25年、冬学期からワイマール・バウハウスに入学し、イッテンの予備課程を受講、クレーに「造形的形態論」を学ぶ。在学中に、織物職人の試験に合格し、バウハウスの織物工房で活躍。24年にはイッテンとともにチューリヒ近郊のヘアリベルクにオントス織物工房を開設する。またクレーフェルト織物学校でも学ぶ。1925−31年、バウハウスの織物工房のマイスターとして指導にあたる。1927−28年、ムッヘの後任として織物工房全体の監督者となる。1931年、織物工房「S−P−H織物」を設立し、家具の布地、カーテン、絨毯などを制作する。1937年、35年に設立した「S+H織物」を新たに「Sh織物」とし、一人で工房を続ける。1983年、スイスのキュスナハトで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

脂派とは?【 美術用語 】

一般に明治美術会系の画家の画面が脂っぽい印象を与えることから、世間がこの系統の作家と作品を揶揄して用いた名称。紫派と呼ばれる黒田清輝を中心として形成された外光派との対比で用いられた。ほかに旧派、北派、変則派とも呼ぶ。1893年ラファエル・コランにサロン風の外光描写を学んだ黒田が帰国するまで、日本の画家は外光描写を知らず褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色あるいは黒で表現したため、画面は暗く脂っぽいものとならざるを得なかった。それに対して明るく感覚的な黒田の外光表現は清新な感動をもって若い画家に迎えられ、やがて当時唯一の官展であった文部省美術展(文展)の画風を支配していった。ジャーナリズムは両者の対立を脂派紫派の抗争とあおったが脂派は画壇の片隅に追いやられていった。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

脂派

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  外光派

  紫派

  脂派


<前   次>

徳島県立近代美術館2006