1896年、ダンツィヒで生まれる。1920−23年、ワイマール・
バウハウスに在学し、
イッテンと
ムッヘの予備課程、
クレーの授業を受ける。舞台工房では
シュライヤー、
シュレンマーに学ぶ。1932−43年、舞台装飾家、衣装デザイナーとして、ハンブルク、
ベルリンで活動する。1946年から、新聞に挿絵を描くようになる。1982年、ミュンヘンで死去。(「
バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)

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吉田博とは?【 作家名 】

福岡県に生まれる。1887年に中学修猷館に入学。1893年京都に上り、田村宗立に師事。翌年上京して小山正太郎の不同舎に入り、のち明治美術会に加わる。1899年渡米。デトロイト美術館で「日本画家
水彩画展」を開き、翌年パリ万国博覧会に出品して褒状を受ける。1901年帰国。翌年太平洋画会の創立に参加し、1903年には再渡米。第1回
文展で3等賞、第2回
文展、第3回
文展でそれぞれ2等賞を受賞。第4回以後しばしば審査会をつとめる。1947年太平洋画会会長となる。(「みづゑのあけぼの
三宅克己を中心として」図録 1991年)

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