ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


エングレーヴィング



円形のビニェット 4点(葉・花弁・茎・莢)



演劇「居酒屋」ポルト=サン=マルタン劇場



エンゲルハルト



遠山雪景図



圓鍔勝三



煙突



煙突(習作)



エーアリッヒ



オイディプスとスフィンクス(アングルによる)



桜花紅桃、新柳貝合図



『黄金時代』事件 抗議パンフレット



王女トミュリス



王女に会いたくてナショナル・ガーデンのフェスティバルを訪



オウスアンコマ



王妃マリー=アントワネット[フランソワ・デュモンの原画による]



大岩秋山図



大鴉



大ガラスと関連作品 第一巻



大ガラスと関連作品 第二巻


<前 (23/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


はっふぇんりひたー

ハンス・ハッフェンリヒター

1897年、ヴュルツブルクに生まれる。1921−24年、ワイマール・バウハウスに在学し、イッテンムッヘの予備課程、クレーと力ンディンスキーの授業を受ける。彫刻工房ではシュレンマーとハルトヴィッヒに学ぶ。シュライヤーの舞台工房でも学ぶ。1924−26年、コペンハーゲン国立アカデミーで学ぶ。1926年、ベルリンで美術学校「道」を指導し、27年から校長となる。1931−33年、西プロイセンのエルビング教育アカデミーで、33年ナチスに解任されるまで教鞭をとる。1945年、ハイデルベルクに移り、アメリカ駐留軍の情報教育センターで美術教師を務める。1949−52年、ヴィースバーデン芸術学校で壁画の指導にあたる。1961年、キームゼー湖畔のヒッテンキルヒェンに移り住み、絵画制作に専念する。1981年、ヒッテンキルヒェンで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

紫派とは?【 美術用語 】

黒田清輝を中心として形成された明治期の洋画の傾向とその画家たちを指す。ラファエル・コランに学んで1893年帰国した黒田は、印象派の技法と伝統的な主題を折衷したサロン系の外光表現を日本に伝えたが、それまで日本の画壇は脂派と呼ばれる褐色を基調として明暗のコントラストを鳶色と黒で描いた暗く脂っぽい表現が主流となっていたため、黒田の明るく感覚的な外光描写は若い画家たちに清新な感動をもって迎えられた。黒田は久米桂一郎とともに天真動場、次いで白馬会を創立し、また東京美術学校教授として後進の指導にあたり、それらの活動を通じて外光描写は当時唯一の官展であった文部省美術展覧会(文展)の画風を支配するに至った。名称の起りは、陰の部分を青や紫で描いたことを、脂派に対して正岡子規が紫派と揶揄したことによる。ほかに脂派との対比から新派、南派、正則派とも呼ぶ。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

紫派

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  外光派

  紫派

  脂派


<前   次>

徳島県立近代美術館2006