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れーふ ハインツ・レーフ
1903年、ライプツィヒに生まれる。1926−30年、デッサウ・バウハウスに在学し、アルバースの予備課程、クレー、カンディンスキー、シュミットの授業を受ける。舞台工房ではシュレンマーに学ぶ。28年にはシュミットのもとで舞台工房のスタッフとして活動するようになる。29年からは展示デザインや広告を手掛けるようになる。1930年、フランツ・工ーアリッヒ、フリッツ・ヴィンターとともにベルリンに「スタジオZ」を開設。1931年、バウハウスの学士号を取得し、グラフィック・デザイナーとして活動する。1936年からロンドンに移る。以後ロンドンで教師、デザイナーとして活動する。1981年、ロンドンで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
望月玉泉とは?【 作家名 】 京都に生まれる。祖父玉仙、父玉川ともに望月派を継ぐ画家で、父に学び、その没後家督を継いだ。本名重岑、字は主一、通称駿三。安政年間の御所再建に際して襖絵を制作。京都府画学校設立の運動に参加し、明治13年(1880)に同校が開設されると東宗(日本の写生画、大和絵など)の副教員となる。また、明治15年(1882)の第一回内国絵画共進会で褒状を得るなど、同展や内国勧業博覧会などで受賞を重ねた。明治22年(1889)パリ万国博覧会や同26年(1893)のシカゴ万国博覧会でも受賞。明治37年(1904)帝室技芸員となった。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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