1886年、ドレスデン近郊ブラーゼヴィッツに生まれる。1910年、ハイ
デルベルク、
ベルリン、ライプツィヒの各大学で学び、法学の博士号を取得。
ベルリンに戻り、エミール・ミランに舞台演出を学ぶ。1911−18年、ハンブルクのドイツ劇場で演出の助手を務める。1916−28年、雑誌『シュトゥルム』に執筆。18年にはヘルヴァルト・ヴァルデンとともに
ベルリンで
表現主義の実験劇場「シュトゥルム」を立ち上げる。1921−23年、ワイマール・
バウハウスで舞台工房のマイスターを務めるが、23年に
バウハウスで上演した「月の遊び」の不興のために
バウハウスを去る。1924−27年、
ベルリンとデッサウの美術学校「道」の校長となり、演劇について教鞭をふるう。1928−32年、ハンブルクのハンザ同盟出版社で文芸部門の編集顧問を務める。1933年から、キ
リスト教カトリックに改宗し、以後カトリック関係の作家、画家として活動する。1966年、ハンブルクで死去。(「
バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)