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にーげまん ヨハン・ニーゲマン
1902年、オランダに生まれる。ハーレムで建築学と美術工芸を学ぶ。1917年、アムステルダムの建築事務所で働く。1924−25年、工ーリッヒ・メンデルスゾーンのもとで製図家として働く。1926−28年、デッサウのグロピウスの建築事務所に職を得る。1928−29年、バウハウスで講演などを行う。ハンネス・マイヤーの建築学科の助手を務める。ベルリンで開かれたユンカース社の「ガスと水」展のブースの設計を行う。「金属祭」の運営の中心となり、招待状・入場券のデザインも行う。1931−年、ソ連で住宅建築などに従事する。1937年、オランダに戻る。1938年、建築家として独立。サンドベルクやマルト・シュタムと共同で仕事をする。1939−55年、アムステルダムの美術工芸学校で講師を務める。1977年、死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
川合玉堂とは?【 作家名 】 1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳、菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年) |
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