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でぶす マクシミリアン・デブス
1904年、レムシャイトに生まれる。1923年、ワイマールで「バウハウス展」を見る。ワイマール・バウハウスに在学するが、奨学金が欠如し勉学を断念。1926−34年、ベルリン国立応用芸術自由学校に学ぶ。1946−50年、ベルリン造形美術大学の准教授として造形理論の基礎を指導する。1950−70年、シュトゥットガルトエ科大学建築学部教授としてデザインを担当し、造形芸術、デザインの基礎を指導する。1981年、シュトゥットガルトで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
荻原守衛とは?【 作家名 】 1879年長野県穂高町に生まれる。1910年没する。1899年画家を志し上京、小山正太郎の不同舎で学ぶ。1904年渡欧中にロダンの「考える人」に感動し、彫刻家を志す。1908年第2回文展で「文覚」が三等賞を受賞。1909年第3回文展で「北条虎吉氏肖像」が三等賞を受賞する。第4回文展で絶作「女」が三等賞受賞。守衛はロダンから、彫刻を量塊としてとらえ、その中に有機的な躍動感を盛り込むことで、彫刻が空間の中で息づくのだということを学んだ。そして守衛の存在はまた、日本近代彫刻の礎となっている。彼の作品に込められた内的な生命感は、彫刻の自立を促すものであり、「坑夫」「デスペア」などはいずれも、日本近代彫刻史を語るに不可欠な作品で、若くして去った守衛の代表作といえる。碌山と号す。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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