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しゅらんめん エバーハルト・シュランメン
1886年、ケルンに生まれる。1906年、デュッセルドルフ美術アカデミーに学ぶ。1915−18年、兵役。1919−22年、ワイマール・バウハウスに在学し、印刷工房、舞台工房(?)、彫刻工房で学ぶ。学生誌『交流(アウスタウシュ)』を発行する。1920年、バウハウスの女学生トニ・フォン・ハーケンと結婚。1922年、この頃、オスカー・シュレンマーの指導する彫刻工房で学ぶ。1933年、リューベックに移住。1947年、リューベックで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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