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べるとると ヨハネス・ベルトルト
1898年、テューリンゲンのグライツで生まれる。1917−19年、フランクフルトにあったドイツで最初のオフセット印刷所で見習いを務める。当地の美術工芸学校に通う。1922−25年、バウハウスに在学。イッテンの予備課程を受講した後、彫刻工房で学ぶ。1926年から、国立建築工芸大学に移る。木彫を指導する。1930年、ナチスによって同校の彫刻工房が閉鎖されたのに伴い、絵画へ転向する。1951年、グライツに戻る。1987年、グライツで死去。(「バウハウス展−ガラスのユートピア」図録 2000年)
カテゴリー:作家
ダダとは?【 美術用語 】 第一次大戦中、ヨーロッパおよびアメリカに起った運動。1916年、チューリヒのキャバレ・ヴォルテールで、トリスタン・ツァラ、ジャン・アルプらが、辞典の一頁から偶然に拾った言葉「ダダ」を用いた。大戦の不安のなかで、合理主義文明とその社会体制を否定し、破壊しようという運動で、おびただしいデモンストレーションとスキャンダルを通じて「なにも意味しない」虚無のダダを唱えた。この否定の精神は、ドイツではヒュルゼンベック、グロスらにより政治的色彩を濃くした。またニューヨークでマルセル・デュシャン、ピカビアらが写真のコラージュや、レティ・メイドのオブジェを使った時期をニューヨーク・ダダと呼ぶが、デュシャンの芸術そのものへの否定精神(反芸術)は、第二次大戦後の若い作家に受け継がれた。さらに1919年にケルンでエルンスト、アルプらが起したダダ運動は、偶然性や意識下の世界を通じて、のちにシュルレアリスムや抽象表現主義への道をひらいた。 |
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