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むーにえ アンリ・ムーニエ
父、ジャン=バティスト・ムーニエの下で絵を学び、その後イクセルのアカデミーで学んだ。彼は彫刻家コンスタンタン・ムーニエの甥にあたる。当初、大衆雑誌の挿絵画家として活躍し、世紀の変わり目頃に、オリジナルの多色刷エッチングやポスターを制作した。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録)
カテゴリー:作家
横山大観とは?【 作家名 】 1868年、常陸国(ひたちのくに、現・茨城県)に生まれる。1958年没する。幼名秀蔵、秀松、のちに秀麿。旧姓は酒井。結城正明に学んだ後、東京美術学校(現・東京藝術大学)に1期生として入学。橋本雅邦、岡倉天心の指導を受ける。卒業後、東京美術学校助教授となるが、天心に殉じて辞職し、日本美術院の創立に参加。正員、評議員となる。美術院の茨城県五浦への移転を経て、文展(文部省美術展覧会)が開催されると審査員もつとめた。天心の没後は、文展を離れ、日本美術院を再興。一貫して指導的立場にあった。帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員などを歴任し、第1回文化勲章を受章。近代の日本画を代表する画家といえる。 |
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