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なかがわ きげん 中川紀元
1892年長野県に生まれる。本名は紀元次。1912年東京美術学校彫刻科に入学するが半年で退学する。洋画に転じ、本郷洋画研究所や太平洋画会研修所に学ぶ。石井柏亭や正宗得三郎に師事し、1915年から二科展に出品する。1916年結婚して有賀姓から中川姓にかわる。1919年フランスに留学し、マティスの指導をうける。1920年フランスから二科展に出品し、樗牛賞を受賞する。1921年帰国し、滞欧作を第8回二科展に出品して二科賞を受賞、会友となる。1922年古賀春江、神原泰、矢部友衛らと前衛グループ「アクション」を結成する。同年二科会会員となるが1933年に退会、正宗得三郎、熊谷守一、鍋井克之らと二紀会を創立する。1964年日本芸術院恩賜賞を受賞する。昭和初年ごろから水墨画にも手を染め、マティス直伝のフォーヴィスム風なものから、日本の風土感を求める抒情的、南画的な傾向へと発展する。(「ピカソと日本」図録 1990年)
カテゴリー:作家
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コブラとは?【 美術用語 】 1948年にアムステルダムで結成された芸術家グループ。カレル・アペル,アスガーヨルン,コルネイユらが実験美術家と称して集まったものである。コブラの名称は、結集した作家の生国が、デンマーク、ベルギー、オランダの三国にわたっていたことから、それぞれの首都のコペンハーゲン、ブリュッセル、アムステルダムの頭文字をとってコブラと称するようになった。激しい筆触、鮮やかな色彩による表現主義的な作風が共通し、また、精神障害者や子供による作品に表現の可能性を見い出し、アンフォルメルの運動とも深くかかわりながら、ヨーロッパでの第二次大戦後の新しい絵画運動の代表のひとつとなった。しかし、グループとしての活動は短命で、3回のグループ展を開催し、3年後の1951年に解散している。 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
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