ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


<前 (74/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


まえた かんじ

前田寛治

1896年鳥取県に生まれる。1930年没する。1915年に上京、葵橋洋画研究所に学び、16年東京美術学校西洋画科に入学、21年に卒業する。在学中は藤島武二に師事し、また、精神的には内村鑑三に傾倒した。1921年、二科展に初入選し、翌22年渡仏、アカデミー・ド・ラ・グラン・ショーミエールに学ぶ。新古典主義写実主義を研究し、アングルクールベに魅かれる。また、マネセザンヌにも刺激を受けた。さらに、唯物史観の影響を受け、〈二人の労働者〉など、社会的な主題を扱った作品も描く。1925年に帰国し、第6回帝展では〈J・C嬢〉で特選となる。翌1926年には里見勝蔵らと一九三〇年協会を結成する。1928年渡仏期の成果を基に、前田写実研究所を開設し、後進の指導にあたる一方で造型理論の研究をすすめ、古典的な構図とフォーヴィスム的な筆致を持つ作品を制作する。1929年の第10回帝展で、帝国美術院賞を受賞した。(「ピカソと日本」図録 1990年、一部加筆有)


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ドラクロワとは?【 作家名 】

フランス・ロマン主義の代表的画家。幼少よりデッサンと音楽の才能を発揮し、17歳の時、古典主義画家ゲランのアトリエに入る。同門にジェリコーがいた。この頃ゴヤ、ルーベンスなどの作品を模写し、ダンテ、シェークスピア、バイロンなどの文学作品から主題をとって創作をした。ドラクロワの芸術の特質は色彩の鮮やかさと感情の表出にあり、彼の革命的な仕事が近代絵画への道を開き、印象派の絵画を導くことになった。代表作に《民衆を導く自由の女神》《サルダナパールの死》(共にルーヴル美術館)など。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ドラクロワ

キーワードを含む記事
13件見つかりました。

  アルジェのユダヤ人(タンジールのユダヤ人花嫁)

  オランのアラブ人

  キオス島の虐殺[ウジェーヌ・ドラクロワの原画による]

  書斎のドンキホーテ

  背中を見せた女

  ダンテの小舟[ウジェーヌ・ドラクロワの原画による]

  点描主義

  ウジェーヌ・ドラクロワ

  アンドレ・ドラン

  民衆を導く自由の女神[ウジェーヌ・ドラクロワの原画による]

  ピエール=オーギュスト・ルノワール

  レベッカの誘拐[ウジェーヌ・ドラクロワの原画による]

  ロマン主義


<前   次>

徳島県立近代美術館2006