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なかの かずたか 中野和高
1896年愛媛県に生まれる。1908年家族とともに宮城県に移る。1914年上京し、葵橋洋画研究所で黒田清輝の指導をうける。1916年東京美術学校西洋画科に入学、21年同校を卒業する。同年第3回帝展に初入選する。1923年養子となり、北野姓から中野姓にかわる。この年から1927年にかけてフランスに留学し、サロン・ドトンヌに入選する。その間前田寛治、佐伯祐三らと親交を深める。帰国後、1927年の第8回帝展以降3年連続して特選を受賞し、30年無鑑査となる。一方、1928年の第3回一九三〇年協会展に作品を特別陳列し、会員となる。1940年鈴木千久馬、大久保作次郎らと創元会を結成、翌年の第1回展以降毎回出品をつづける。戦後は日展の審査員、参事、評議員をつとめ、1958年日本芸術院賞を受賞する。滞欧期の立体的な表現から日本的な平面表現に移行し、古典的で清楚な人物像を描いた。(「ピカソと日本」図録 1990年)
カテゴリー:作家
アルプとは?【 作家名 】 1886年フランスに生まれる。1966年に没する(オランダ、バーゼル)。ワイマール美術学校、パリのアカデミー・ジュリアンに学ぶ。1912年ブラウエ・ライター、翌年シュトゥルムの活動に関わり、16年からはダダの中心的人物として活躍する。1925年にはシュルレアリスムの運動に参加。また1930年にはセルクル・エ・カレ、翌年に「抽象・創造」と、抽象美術の活動にも参加、ダダと抽象美術にまたがる幅広い活動を展開した。絵画の他にも、コラージュ、彩色レリーフ、ちぎり絵のコラージュ(ハピエ・デシレ)、彫刻等を手掛け、更に詩人としても活躍する。1954年ベネチア・ビエンナーレ展で国際彫刻大賞、63年フランス芸術大賞を受賞。1965年ロカルノ名誉市民となる。1958年ニューヨーク近代美術館、62年にポンピドゥ・センターで大回顧展が開催された。(「なぜか気になる人間像 徳島県立近代美術館所蔵名品展」図録(埼玉県立近代美術館)1992年) |
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