![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
うぃる ヨハン=ゲオルク・ウィル
ケーニヒスベルグに生まれる。版画家、収集家、画商。1716年パリに出て、はじめ、無一文で鉄砲鍛冶の金属彫刻工として職を得るが、そこで版画画商の注文を受けるようになる。ドイツの版画家の紹介でイアンサント・リゴーの肖像画を版画で制作する機会を得、リゴー夫人の版画などで名声を得た。後、ウィルの版画工房は、パリにおけるもっとも重要な版画制作センターの一つとなる。同時にそこは、画家や収集家、画商、そして若いドイツ人版画家が集まる場所となった。1755年アカデミーの会員となる。美術品や骨董の収集を行い、各国の芸術家と収集家の仲介役としての活動により、アウグスブルグ、ウィーン、コペンハーゲン、ベルリンの、外国のアカデミーの会員にも選ばれている。(「近世フランスの絵画と版画−東京富士美術館コレクションによる」図録 2002年)
カテゴリー:作家
ベラとは?【 作家名 】 ザイール南部にあるシャバ州の中心都市であるルブンバシ(旧エリザベトビル)は、銅やコバルトの産地として世界的に知られている。第二次世界大戦中にブラザビル(現コンゴの首都)で、軍務として現地の美術の保護に携わっていたブルターニュ出身のフランス人画家ピエール・ロマン=デフォッセが、チャド出身の従兵ベラを連れて、この地に入ったのは戦争末期のことであった。アフリカ人の芸術を保護、奨励することに深い関心を寄せていた彼は1944年、現地の人々を相手にしたアトリエ〈ル・アンガー〉を開設する。その最初のメンバーのひとりがベラであった。〈ル・アンガー〉では、デフォッセはただキャンバスと絵の具、それに場所だけを提供して、主題も構図も一切教えずに、もちろん西洋美術の画集に手を触れさせることもなく、もっぱら現地の人たちの自発性に委ねたといわれている。指先を使うベラの点描画法などは、実に個性的な手法であった。(「同時代のアフリカ美術」図録 1996年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||