![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
わきた かず 脇田和
1908年東京都に生まれる。青山学院を中退し、1924年ドイツに留学。1930年ベルリン国立美術学校を卒業。帰国後は光風会展や帝国美術院展、第二部会展などに出品し、光風会賞、第二部会展特選、昭和洋画奨励受賞などを受賞。1936年新制作派協会の結成に参加し、以降、新制作派展を主要な活動の場とした。戦後は内外の国際展にも度々出品し、1955年第3回日本国際美術展最優秀賞、1956年第1回グッゲンハイム美術賞日本国内賞など受賞を重ねた。1964年からは東京藝術大学助教授(68年から教授)として後進の指導にあたり、1998年に文化功労者に選定された。長野県軽井沢町に脇田美術館が設けられている。
カテゴリー:作家
ルノワールとは?【 作家名 】 1841年フランスに生まれる。1862年エコール・デ・ボザールに入学し、ここでモネ、シスレーらと知り合う。ドラクロワやクールベの影響を受けた制作を経て、1869年からモネと印象派の技法を試みる。1874年第1回印象派展に「桟敷席」他7点を、76年第3回印象派展には「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」を出品する。1880年代にはアングルやラファエロに影響され、明確なデッサンと寒色を基調とした作風の時代に移行する。1890年ごろより、もとの作風に戻り、裸婦や肖像を主として制作。豊満で量感に富む独特の画境を開く。1903年から彫刻も手掛ける。1906年よりカーニュに居を定め、1919年に同地で没した。(「パリ・日本・メキシコ 埼玉県立近代美術館所蔵作品による」図録 1992年) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||