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みくも しょうのすけ 三雲祥之助
1902年京都府に生まれる。1925年京都帝国大学文学部史学科を中退し、中国を経てフランスに渡る。パリで絵画制作をはじめ、シャルル・ゲランに師事、27年サロン・ドトンヌに入選し、以降入選を重ねる。1930年スペインを旅行しマジョルカ島で制作、32年バルセロナのサロン・デ・オートニヨに出品する。1935年帰国、第13回春陽会展に出品するが、翌36年から国画会に出品、同年の第11回展では褒を受ける。1943年岡鹿之助のすすめで再び春陽会展に出品、同会会員となり、以降春陽会展に出品する。戦後は現代日本美術展、日本国際美術展、国際形象展などにも出品、国際造型芸術連盟日本委員、日本美術家連盟常任委員などをつとめる。1957年武蔵野美術学校西洋画科教授となり、62年同校の組織改革により武蔵野美術大学美術学科教授に就任、74年までつとめる。(「ピカソと日本」図録 1990年)
カテゴリー:作家
オートマティスムとは?【 美術用語 】 自動(記述)法と訳される。厳密には「シュルレアリスム宣言」に「理性によるいっさいの統制なしに、かつ美学的、倫理的ないっさいの先入観なしに行われる思考の真実の書きとり」とあるように、意識下の世界を探求するために用いられる方法。この用語はピカビアのインクのしみとか、紙切れを無造作に落すアルプの方法などのように、意図的に偶然の要素を開発する方法にも適用され、1940年代初期のニューヨークのシュルレアリストたちに重要な原理として引き継がれた。その後のアクション・ペインティング、アンフォルメル芸術は、どちらも絵をかく過程を自動的な精神の即興、つまり画家の内的な心の状態を表現する手段とみなしていたので、オートマティスムを自らの特質として受け入れた。 |
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