ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


版画集〈恋人たち〉1. 準クラナッハ選集、“本日休演”による ファースト・ステート



版画集〈恋人たち〉12. …裸にされた花嫁 セカンド・ステート



版画集〈ジャズ〉1.道化師



版画集〈ジャズ〉2.サーカス



版画集〈ジャズ〉8.イカルス



版画集〈聖マトレル〉1.レオニー嬢



版画集〈聖マトレル〉2.テーブル



版画集〈聖マトレル〉3.長椅子のレオニー嬢



版画集〈聖マトレル〉4.修道院



版画集〈石版画集 点より 線より〉5. 線より1



版画集〈ダフニスとクロエ〉9.クロエの接吻



版画集〈ダフニスとクロエ〉11.真昼,夏



版画集〈ダフニスとクロエ〉17.フィレタスの教え



版画集〈ダフニスとクロエ〉41.ニンフたちの洞窟での婚礼の宴



版画集〈ダフニスとクロエ〉42.結婚



版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉1. 虹色のスカーフをつけたドリアン・グレイ



版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉2. ホース・ランプ



版画集〈響き〉1.赤色の前の二人の騎手



版画集〈響き〉12.即興5



版画集〈響き〉21.騎士の道


<前 (122/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


でらう゛ぃら

フランツ・カール・デラヴィラ

1903年から1908年、ウィーン工芸美術学校でカール・オットー・チェシュカ、ルドルフ・フォン・ラリッシュおよびベルトルト・レフラーに師事。1906年、木版画作品2点を発表(寓話「悲しい一小節」と動物絵本)。1907年、マグデブルク工芸美術学校に赴任。1907年、ウィーン工房のためにさまざまな仕事をする。漫画新聞「ケーニッヒスゾーン(王子)」を発行、キャバレー・フレーダーマウスのためのポスター、葉書をデザイン、室内装飾も手掛ける。「ユンク・ヴィーン」においても、ポスター「大園遊会」児童書「パン屋フランツル」などの仕事を行う。1908年、クンストシャウに参加。1909年、ハンブルク工芸美術学校に赴任。アントン・クリンクと知り合う。ディ・フレッヒェ第2号に作品を発表。1909年から1913年、美術工業博物館の工芸展に出品。1911年、オスカー・ディートリッヒ商会のために銀細工をデザイン。1913〜22年、フランクフルト工芸美術学校で版画を教える。1917年から1933年、フランクフルトおよびダルムシュタット、1920年、「新しい舞台」に作品を発表。1923年から1944年、自由応用美術学校で、1946年から1950年、再開したフランクフルトのシュテーデル学校で教える。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

アントン・クリンクとは?【 作家名 】

1898から1903年、 ウィーン工芸美術学校でアルフレッド・ロラーヨーゼフ・ホフマンに師事。1902年から1905年、 イラストレーターとして活躍、「ディ・フレッヒェ」第一巻の幾つかの作品を制作。風刺的な「ルシフェール」誌や、「地の霊」誌などの制作に従事。1903年から1905年、 家具のデザイン。1907年、 キャバレー・フレーダーマウスの装飾に従事。陶器デザインではベルトルト・レフラーとミヒャエル・ポヴォルニーも参加。1908年、クンストシャウ展の為の委員会及び彼自身が本装飾デザインした同展のカタログ制作の責任者になる。展覧会は、壁画、ポスター、本装飾関連。1908年から1923年、ハンブルグ工芸美術学校で教師を務める。この時期に多くの本挿絵制作。1909年、クンストシャウに参加する。1909年から1910年、オーストリア美術工芸展に、ベルトルト・レフラー、ミヒャエル・ポヴォルニー及びウィーン陶器製造所と共に参加。1923年から1927年、プフォルツハイム工芸美術学校の校長。1927年から1963年、陶器、油彩、水彩制作のフリーの芸術家としてカールスルーエに滞在。1931年、バーデンの芸術家協会にて個展。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

アントン・クリンク

キーワードを含む記事
3件見つかりました。

  アントン・クリンク

  「白地に黒」

  フランツ・カール・デラヴィラ


<前   次>

徳島県立近代美術館2006