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でらう゛ぃら フランツ・カール・デラヴィラ
1903年から1908年、ウィーン工芸美術学校でカール・オットー・チェシュカ、ルドルフ・フォン・ラリッシュおよびベルトルト・レフラーに師事。1906年、木版画作品2点を発表(寓話「悲しい一小節」と動物絵本)。1907年、マグデブルク工芸美術学校に赴任。1907年、ウィーン工房のためにさまざまな仕事をする。漫画新聞「ケーニッヒスゾーン(王子)」を発行、キャバレー・フレーダーマウスのためのポスター、葉書をデザイン、室内装飾も手掛ける。「ユンク・ヴィーン」においても、ポスター「大園遊会」児童書「パン屋フランツル」などの仕事を行う。1908年、クンストシャウに参加。1909年、ハンブルク工芸美術学校に赴任。アントン・クリンクと知り合う。ディ・フレッヒェ第2号に作品を発表。1909年から1913年、美術工業博物館の工芸展に出品。1911年、オスカー・ディートリッヒ商会のために銀細工をデザイン。1913〜22年、フランクフルト工芸美術学校で版画を教える。1917年から1933年、フランクフルトおよびダルムシュタット、1920年、「新しい舞台」に作品を発表。1923年から1944年、自由応用美術学校で、1946年から1950年、再開したフランクフルトのシュテーデル学校で教える。
カテゴリー:作家
河合新蔵とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎の水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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