![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ふれーぐる マティルデ・フレーグル
1909年から1916年、ウィーン工芸美術学校で、アドルフ・ベ一ム、ヨーゼフ・ホフマン、アントン・R.・フォン・ケンナー、オスカー・シュトゥルナートらに師事。1916年から1931年、ウィーン工房のメンバー。1931年から1935年、独立してアトリエを持つ。様々な学校で教鞭を執る。1915年、モード展、1920年、クンストシャウ、1922年、ドイツ工芸展、1925年、アール・デコ国際装飾・工芸美術展、1925年、ドイツ女性美術家展、1928年、近代の住宅展、1930年、工作同盟展、ウィーン女性芸術家展などに参加。オーストリア工作同盟及びウィーン女性美術家同盟会員。陶芸、木工、グラフィック・デザイン、ガラス装飾、服飾関係、壁紙、壁画などに携わる。
カテゴリー:作家
シャガールとは?【 作家名 】 1887年ロシアに生まれる。1985年没する。ユダヤ人であるが後にフランス国籍を得る。バクストの美術学校で学んだのち、1910年パリに出る。この頃から故郷の風物を好んでとり入れる。1914年ロシアに戻り、革命後は一時期美術行政にも関わるが、22年に再びパリへ戻る。1933年にバーゼル美術館、46年にはニューヨーク近代美術館、47年にはパリ国立近代美術館で回顧展が開かれた。第2次世界大戦中は渡米するが、1947年にはフランスに戻る。1950年にはチューリッヒ美術館、63年には東京と京都で、また67年には生誕60年を記念してチューリッヒとケルンで、それぞれ回顧展が開かれた。あざやかな青や赤や黄色を用いて描かれた、花々や動物、抱擁する恋人達は、重力をこえて空を飛んでいる。スペイン内乱やユダヤ人虐殺、2つの大戦を経た彼は、永遠の愛の神話を生み出そうとしたのであろうか。油彩の他、挿絵や版画、ステンドグラスなども手がけており、今世紀を代表する画家の1人として評価されている。ニースにシャガール美術館がある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||