ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


藤田嗣治



藤の花の絵柄のある陶器のデザイン



富士巻狩



藤松博



婦人像



婦人像



婦人像



婦人載水図



婦人の肖像



襖を抜く



扶桑神境図



2つの正方形の物語



2ツのリンゴ



二人の顔



二人の人物



二人の裸婦



2人用乳母車



二人(習作)



普陀落迦山



「復活祭の贈物展」の招待状


<前 (135/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


ふりーどりっひ

オットー・フリードリッヒ

ウィーン美術アカデミーでアウグスト・アイゼンメンガーおよびレオポルト・カールミュラーに師事、また、ミュンヒェン美術アカデミーでヴィルヘルム・フォン・リンデンシュミットに師事。1891年から1894年、パリに留学、スペインおよび北アフリカに旅行。1896年、ウィーンに移住。1897年、ウィーン分離派の創設に参加、同派の多数の展覧会に出品。1898年から1902年「ヴェル・サクルム」(通卷第1〜5号)に絵、ビネット、装飾デザインを寄稿。1903年から1905年、ヴィーナー・フェアラーク出版本の装丁を手掛ける。1908年、分離派の宣伝マッペのためのカラーリトグラフ「ヨゼフ広場」を制作。1909年、第33回分離派展のポスターを描く。女子美術学校の教師になる。多数の女性肖像画のほか、風景画も描く。版画家として特にカラーリトグラフの制作に励む。フランス印象派の影響を受けるが、社会派の作家ケーテ・コルヴィッツの影響も受ける。分離派に属するが、労働者の暮しぶりをテーマにした作品が多い。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

山本鼎とは?【 作家名 】

1882年愛知県に生まれる。1906年東京美術学校西洋画科選科を卒業し、翌年石井柏亭、小林未星らと雑誌『方寸』を創刊する。1912年渡欧、1916年帰国、翌年日本美術院洋画部同人となる。1918年戸張孤雁と日本創作版画協会を創立して創作版画の発展につくし、翌年長野県小県郡神川村に日本農民美術研究所を設立。また自由画運動を推進するなど多方面に功積を残した。1920年日本美術院を脱退、翌年自由学園美術部教授となる。1922年春陽会創立に参加して会員となったが、1935年帝国美術院参与に推されて春陽会を脱会するが、1943年春陽会に復帰。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

山本鼎

キーワードを含む記事
9件見つかりました。

  女の顔

  倉田白羊

  木口木版

  坂本繁二郎

  戸張孤雁

  松本旻

  村山槐多

  森田恒友

  山本鼎


<前   次>

徳島県立近代美術館2006