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がいりんく レミギウス・ガイリンク
1898年から1900年、ウィーン工芸美術学校でカール・カルガーに学ぶ。1902年から1904年、ミュンヒェン美術アカデミーでルードヴィッヒ・ヘルテリッヒ、フランツ・フォン・シュトゥック、ヴィルヘルム・トゥーニーらに師事。オーストリア工作同盟及びキュンストラーハウスのメンバー。1897年、ウィーン分離派のための、コロマン・モーザーデザインのガラス窓を仕上げる。1900年、パリの万国博覧会に参加。1905年から1907年、シュタインホーフにある教会の祭壇を制作。1909年から1911年、新ウィーン劇場、1911年から1913年及び1922年から1945年まではブルグ劇場の舞台装置のチーフ。1908年、カイザー記念パレードの際には、主力スタッフとして600着の意匠をデザイン、そのうちの何着かのデザインはウィーン工房のポストカードになった。本の装丁も行った。1911年、舞踏会の寄贈品をデザインし、W.メルツナーが制作。1926年から1946年、工芸美術学校の教授を務めた。
カテゴリー:作家
アクアチントとは?【 美術用語 】 版画技法。銅版画は、凹版を製版する技法によって直刻法と酸腐蝕法に大別できるが、これは後者の内の一つ。まず銅板に粉末状のグラウンド(防蝕剤)を粗くまき熱して付着させ、その上に液状のグラウンドで描画する。これを酸腐蝕させると、描画部は残り、その背景には網目状の防蝕層を通過した酸によって徴細な点が刻まれる。グラウンドを除去し凹部にインキをつめプレス機で紙に刷り上げると、描画部は白く、背景には砂目状の徴妙な黒点が表われる。普通白く残したい部分から順に描画を重ね腐蝕を繰り返すので、描かれなかった部分はその度に腐蝕が進み、それを印刷すれば、砂目状の黒い調子が段階的に深まっていくことになる。アクアチントの語源は「水」であり、水彩画のように微妙な濃淡を表現できるという特徴を示している。17世紀前半にオランダで発明されたとされており、18世紀にフランス人ル・プランスによって確立された。同じ腐蝕凹版であるエッチングと併用されることも多い。 |
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