ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ 海辺の葉と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 都わすれと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ れんげと影



影シリーズ 石と影



影シリーズ 右近の葉と影



影シリーズ 海辺の黄色の花と影



影シリーズ ススキと影



影シリーズ 砂と影



影シリーズ 菜の花と影I



影シリーズ 浜辺の葉と影



影シリーズ 都わすれと影



影の自画像



過去も未来もない中心 I



過去も未来もない中心 II



かご


<前 (32/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


がいりんく

レミギウス・ガイリンク

1898年から1900年、ウィーン工芸美術学校でカール・カルガーに学ぶ。1902年から1904年、ミュンヒェン美術アカデミーでルードヴィッヒ・ヘルテリッヒ、フランツ・フォン・シュトゥック、ヴィルヘルム・トゥーニーらに師事。オーストリア工作同盟及びキュンストラーハウスのメンバー。1897年、ウィーン分離派のための、コロマン・モーザーデザインのガラス窓を仕上げる。1900年、パリの万国博覧会に参加。1905年から1907年、シュタインホーフにある教会の祭壇を制作。1909年から1911年、新ウィーン劇場、1911年から1913年及び1922年から1945年まではブルグ劇場の舞台装置のチーフ。1908年、カイザー記念パレードの際には、主力スタッフとして600着の意匠をデザイン、そのうちの何着かのデザインはウィーン工房のポストカードになった。本の装丁も行った。1911年、舞踏会の寄贈品をデザインし、W.メルツナーが制作。1926年から1946年、工芸美術学校の教授を務めた。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

竹内栖鳳とは?【 作家名 】

京都に生まれる。本名恒吉。はじめ四条派の土田英林につくが、17歳のとき幸野楳嶺に入門。棲鳳の号を受ける。楳嶺やフェノロサの示唆で、四条派の伝統だけでなく、幅の広い古画を研究した。若くして、内国絵画共進会などで入選し、受賞。明治25年(1892)の第21回京都博覧会での受賞作〈猫児負喧〉は、折衷的表現であったため「鵺派」と批判されたが、その後もさまざまな展覧会で受賞を重ねた。明治28年(1895)京都市立美術工芸学校教諭。明治33年(1900)には渡欧し、帰国の後、号を栖鳳と改めた。明治40年(1907)に文展が開設されると、毎回審査員をつとめ、京都市立絵画専門学校教諭、同教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員などを歴任。長く京都画壇の指導的存在であった。画塾竹杖会からは、多くの逸材を輩出した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

竹内栖鳳

キーワードを含む記事
36件見つかりました。

  池田遙邨

  伊藤小坡

  伊藤草白

  上村松園

  大村広陽

  小野竹喬



  川合玉堂

  群魚図

  幸野楳嶺

  小林和作

  柴原希祥

  島田滴州



  吹田草牧

  竹内栖鳳

  立脇泰山

  千種掃雲

  都路華香

  土田麦僊


<前   次>

徳島県立近代美術館2006