![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
りひゃると はるふりんがー リヒャルト・ハルフリンガー
1892年から1894年、ウィーンでシュトラーロウに学ぶ。1894年から1899年、ミュンヒェン美術アカデミーでN.ギジス、C.V.マルに師事。1906年、ウィーン分離派のメンバー。1917年から1919年、 ウィーン分離派の会長。1917年より、ウィーン女子アカデミーの教授、ウィーン国立美術館、分離派ギャラリー、ウィーン市立美術館、ニーダーエスターライヒ州立美術館の各造形顧問。オーストリア領シュレジエン、ビーリッツ教会のステンドグラスの下絵制作。
カテゴリー:作家
与謝蕪村とは?【 作家名 】 現在の大阪市に生まれる。江戸中期の俳人であり、画家。姓は谷口から与謝に改めた。蕪村は俳号で、画号は初め子漢。晩年に謝寅(しゃいん)とした。二十歳頃、俳諧を志し、江戸に下って早野巴人(はじん)に入門。巴人の没後、いまの茨城県など関東や東北を巡歴し、一七五一年(宝暦元年)、京都に居を結ぶ。丹後(現在の京都府)の宮津での滞在を挟み、以後は京都を拠点に活動した。絵画の面では、明清絵画のさまざまな画法を学び、南画の画法を吸収することで、自己の表現をつくりあげた。池大雅(たいが)とともに日本南画の大成者とされている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||