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やんけ ウルバン・ヤンケ
1903年から1908年、ウィーン工芸美術学校でベルトルト・レフラーに師事。1908年、クンストシャウに参加。同年、マグデブルクの工芸美術学校の教職に就く。オーストリア工作同盟のメンバー。「地の霊」誌の編集に携わり、ローゼンバウム社、及びグラフィック工芸組合の仕事(主にポスターなど)を行う。ロブマイヤー社のガラス装飾、ウィーン工房のために絵葉書や絵草紙を製作、また、キャバレー・フレーダーマウスの内装にも参加。
カテゴリー:作家
戸張孤雁とは?【 作家名 】 1882年東京に生まれる。1901年洋画研究のため渡米し、06年に帰国する。1910年太平洋画会研究所彫塑部に入門し、同年第4回文展に「をなご」を出品する。1916年再興第3回院展に「ムスメ」「若き男の像」他を出品する。1917年には日本美術院同人となる。1927年東京で死去。アメリカで苦学をしながら、洋画、デッサンを学んでいた戸張は、ニューヨークのナショナル・アカデミーで荻原守衛と知り合ったことで、彫刻家への道を進むことになる。ロダンの作品からも多大な影響を受け、生命感にあふれた大胆なデフォルマシォンを特徴とする象徴性の高い作品を制作した。また版画家としても活躍し、1919年には山本鼎、織田一磨らと日本創作版画協会を創立し、「創作版画と版画のつくり方」を刊行した。(「日本近代彫刻の一世紀 写実表現から立体造形へ」図録 1991年) |
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