ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


アペル



阿房宮図



アマタシャ



雨田光平



網打つ人 - II



編革ひもシートのインスブルック・ローデルそり



編物をする羊飼いの女(羊飼いの女、大)



アムステルダム国立博物館1







雨のために



アメリカセイ



アメリカの風景



荒井寛方



洗い髪



荒川修作



荒木寛畝



荒木十畝



荒木高子



荒木珠奈






<前 (5/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


いぇっとまー

ルドルフ・イェットマー

1886年、絵画学校で勉強。1887年から1889年、アカデミーでフランツ・ルムプラー、クリスティアン・グリーペンケールおよびアウグスト・アイゼンメンガーに師事。1890年、皇帝からの奨学金を受ける。1892年、カールスルーエのカスパー・リッターのところで修業。1893年、スイスおよびイタリアを徒歩旅行。1894年、ライプツィヒおよびドレスデンで装飾画家。1896年、ローマ賞を受賞。1897年、版画マイスター学校に入り、ヴィリアム・ウンガーのもとで銅版画を始める。1898年、ウィーン分離派に参加(1920年まで主要メンバーとして活躍)。1903年から1904年、リトグラフ8点と木版画12点の連作「夜の時間」、童話挿絵を制作。1898年から1905年、多数の分離派展覧会に出品。1902年、第14回展(クリンガー/ベートーベン特別展)にフラスコ画を出品。1898年から1903年、「ヴェル・サクルム」に多数作品を発表。1905年から1906年、シュタインホフにあるオットー・ヴァーグナー建築の教会の為のモザイクデザイン制作。婦女子工芸学校の教師を務めた後、1910年から1936年、アカデミーで教える。1928年からは、グラフィックのフェルディナント・シュムッツァー・マイスターシューレ(職業学校)の後継者となる。1918年から1920年、バイロンの「カイン」の為の8点からなるエッチングシリーズ制作。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

石川欽一郎とは?【 作家名 】

1871年静岡県に生まれる。その後東京に移り、1888年逓信省東京電信学校に学ぶ。1889年大蔵省印刷局に入り、1891年に明治美術会に入会。浅井忠、川村清雄などに指導を受け、明治美術会解散後巴会に加わる。1905年に大下藤次郎を知り、『みづゑ』にアルフレッド・イーストの翻訳を掲載。1913年、日本水彩画会の創立に参加。1922年渡欧。1924年台湾に渡る。台北師範学校嘱託となり、台湾水彩画会を創立。台湾美術展の審査員などをつとめる。1932年帰国。その後日本水彩画会顧問となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

石川欽一郎

キーワードを含む記事
2件見つかりました。

  石井柏亭

  石川欽一郎


<前   次>

徳島県立近代美術館2006