データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
ゆんぐにっける ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユングニッケル
1898年、ミュンヒェンの工芸美術学校に通う。1899年、ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに、1902年まではウィーン工芸美術学校でアルフレッド・ロラーに師事。1905年、ミュンヒェン美術アカデミーでカール・フォン・マールに、引き続きエッチングクラスでヴィリアム・ウンガーに師事。ドイツ工作同盟、オーストリア工作同盟、キュンストラーハウスのメンバーとなる。1904年、雑誌「愛するアウグスティン」挿画、1905年、動物の描写6点と風景画1点で‘吹付け’技術を初めて試み、1906年、同じ雛型で繰り返しているが、1905年の「芸術と装飾」11月号にて発表している。1908年、クンストシャウに参加。1909年、シェーンブルンの移動動物園の動物たちを描いた木版画シリーズ。1910年、ウィーン工房向け、想像力溢れる「昆虫の音楽家たち」のポストカード。1911年、フランクフルトの工芸美術学校の教授を務める。1912年から1913年、ストックレー邸の子ども部屋の為の、動物のフリーズ(壁面上部の帯状装飾)、1913年、ボスニア、及びヘルチェゴビナに旅行。絵画作品、「洪水」は新しい様式を示している。1914年以降、エゴン・シーレや、オスカー・ココシュカらに刺激を受け、より一層画業に専念するようになる。1917年、多色木版画のシリーズ「寓話の動物」、1919年、リトグラフ「伝統的古典の動物寓話」、1922年、ウィーンのスペイン宮廷乗馬学校の習作、1937年、国から賞を授与される。1938年、スプリットへ亡命、その後アバジアへ。1952年、オーストリアに帰国。
カテゴリー:作家
いまクリックまたは、検索したキーワードの解説
クロスとは?【 作家名 】 生地のドゥエイでカロリュス・デュランに学んだ後、1881年にパリに拠点を移し、サロンで作品発表を開始、1884年からはアンデパンダン展にも出展する。写実主義的画風で出発したが、フェリックス・フェネオンの色彩理論の影響を受け、ジョルジュ・スーラ、ポール・シニャック等に続く、後期印象派の代表的な作家となる。日本美術に関しても、フェネオンを通じて知識を得たことがきっかけとなり、1880年代以後パリで開催された様々な展覧会に足を運んで、研究した。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) 画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||