ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


リヴィエール



リカルツ



リクテンスタイン



陸に上がった水



リゲア



■江雨晴



■江静白



リゴン



リゴー



リゴー



リシツキー



リスト



リスモンド



理想の郊外



理想の浴室



リックスウエノ



リトヴェガー



リトヴェガー



リトグラフ



リトル


<前 (175/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


ゆんぐにっける

ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユングニッケル

1898年、ミュンヒェンの工芸美術学校に通う。1899年、ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに、1902年まではウィーン工芸美術学校でアルフレッド・ロラーに師事。1905年、ミュンヒェン美術アカデミーカール・フォン・マールに、引き続きエッチングクラスでヴィリアム・ウンガーに師事。ドイツ工作同盟、オーストリア工作同盟、キュンストラーハウスのメンバーとなる。1904年、雑誌「愛するアウグスティン」挿画、1905年、動物の描写6点と風景画1点で‘吹付け’技術を初めて試み、1906年、同じ雛型で繰り返しているが、1905年の「芸術と装飾」11月号にて発表している。1908年、クンストシャウに参加。1909年、シェーンブルンの移動動物園の動物たちを描いた木版画シリーズ。1910年、ウィーン工房向け、想像力溢れる「昆虫の音楽家たち」のポストカード。1911年、フランクフルトの工芸美術学校の教授を務める。1912年から1913年、ストックレー邸の子ども部屋の為の、動物のフリーズ(壁面上部の帯状装飾)、1913年、ボスニア、及びヘルチェゴビナに旅行。絵画作品、「洪水」は新しい様式を示している。1914年以降、エゴン・シーレや、オスカー・ココシュカらに刺激を受け、より一層画業に専念するようになる。1917年、多色木版画のシリーズ「寓話の動物」、1919年、リトグラフ「伝統的古典の動物寓話」、1922年、ウィーンのスペイン宮廷乗馬学校の習作、1937年、国から賞を授与される。1938年、スプリットへ亡命、その後アバジアへ。1952年、オーストリアに帰国。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ラスケとは?【 作家名 】

1892年から1898年、ウィーン工科大学でカール・キューニッヒに師事。1897年、イタリアに研究旅行。1899年から1901年、ウィーン美術アカデミーオットー・ヴァーグナーに師事。建築ディレクター、ヘルマン・ミュラーのもとで実践を積む。最初は父親のアトリエで、後に独立して、賃貸住宅やウィーンの邸宅、とりわけ、ケルンテン、ドレスデン、メーレンのエンゲル薬局、などの建築に従事。キャバレー「ナッハトリヒト(常夜灯)」の内装と装飾。1904年、はじめてエッチングを試みる。1905年、ユングブント展に造形作家として参加、その際、室内デザインにも従事する。1907年、ハーゲンブントのメンバーになる。多くの展覧会設備のデザインを請負う。1910年、「ノアの箱舟」、1913年、「パラダイス」、「小鳥のお説教」。1911年から1918年、頻繁に旅行をする。第一次世界大戦の際には、戦争画家として様々な戦線に赴く。1919年、「ノアの箱舟」のフリーズ(壁面上部の帯状装飾)、エッチング「ファースト・インプレッション」。1920年、初めて劇場の演出を試みる。1924年、ウィーン分離派メンバー。1928年、ウィーン紙大賞を受賞。キュンストラーハウスのメンバーとなる。ウィーン市から1931年、1948年に受賞。トーマス・マン、ヨハン・ネポムック・ネストロイ、フェルディナンド・ライムンド、アルトゥール・シュニッツラーらの作品のリトグラフと本の挿絵を制作。

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ラスケ

キーワードを含む記事
6件見つかりました。

  アサンブラージュ

  書斎のドンキホーテ

  バロック

  フェルナンド・ボテロ

  山下新太郎

  オスカー・ラスケ


<前   次>

徳島県立近代美術館2006