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かるう゛ぁっは ルドルフ・カルヴァッハ
ベルトルト・レフラー、カール・オットー・チェシュカ、アルフレッド・ロラーに師事。トリエステ港(彼の家族が在住していた)の木版画シリーズ。1903年、「ディ・フレッヒェ」の第一巻、1906年、ミートケ画廊の「ディー・ユンゲン(若手の作家たち)」展に参加。1908年から1910年、ウィーン工房のポストカード、絵草子。折りたたみ形式(レポレロ形式)の子どもの本の制作。1908年クンストシャウに参加、クンストシャウ向けポスターもデザイン、1909年、クンストシャウ参加の契約を更新。「地の霊」誌と「グラフィック美術」誌に作品を発表。1912年、アーデレ・フォン・シュタルクの琺瑯の専門クラスに通い、その作品は1913年、ミートケ画廊と工芸美術学校の展覧会で展示される。1910年、「ザ・シュテューディオ」誌に彼の作品に対する記事が記載される。ノイクンストグルッペ(新芸術集団)及びオーストリア工作同盟メンバー。1912年から1915年、シュタインホーフの精神病院に入院。彼の作品は、引き続きドレスデン、ライプツィッヒ、ミュンヒェン、ウィーンのコレクション展で展示される。1912年からは、精神分裂病の回復の見込みがなく、再び病院に戻る。
カテゴリー:作家
河合新蔵とは?【 作家名 】 大阪府に生まれる。1891年頃東京に移り、五姓田芳柳に学ぶ。その後小山正太郎の不同舎に移る。1900年、満谷国四郎、丸山晩霞、鹿子木孟郎らとともに渡米し、翌年ヨーロッパに渡る。パリではアカデミー・コラロッシュに入ってラファエル・コランに師事。またアカデミー・ジュリアンにも学んだ。1904年に帰国。一時京都に住むが再び上京して太平洋画会に参加。大下藤次郎の水彩画講習所の開設に協力して講師をつとめる。1912年に京都に移住。関西美術院の教授となり、関西美術会の審査員などもつとめた。1913年の日本水彩画会の創立には発起人となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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