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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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 作家(1701)

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くりんく

アントン・クリンク

1898から1903年、 ウィーン工芸美術学校でアルフレッド・ロラーヨーゼフ・ホフマンに師事。1902年から1905年、 イラストレーターとして活躍、「ディ・フレッヒェ」第一巻の幾つかの作品を制作。風刺的な「ルシフェール」誌や、「地の霊」誌などの制作に従事。1903年から1905年、 家具のデザイン。1907年、 キャバレー・フレーダーマウスの装飾に従事。陶器デザインではベルトルト・レフラーとミヒャエル・ポヴォルニーも参加。1908年、クンストシャウ展の為の委員会及び彼自身が本装飾デザインした同展のカタログ制作の責任者になる。展覧会は、壁画、ポスター、本装飾関連。1908年から1923年、ハンブルグ工芸美術学校で教師を務める。この時期に多くの本挿絵制作。1909年、クンストシャウに参加する。1909年から1910年、オーストリア美術工芸展に、ベルトルト・レフラー、ミヒャエル・ポヴォルニー及びウィーン陶器製造所と共に参加。1923年から1927年、プフォルツハイム工芸美術学校の校長。1927年から1963年、陶器、油彩、水彩制作のフリーの芸術家としてカールスルーエに滞在。1931年、バーデンの芸術家協会にて個展。


カテゴリー:作家
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上村松園とは?【 作家名 】

松園は京都のひと。本名津禰。明治20年京都府画学校に入学し鈴木松年に師事するが、翌年退学して松年塾に入った。次いで幸野楳嶺に師事し、楳嶺の死後は竹内栖鳳の門に移る。画を学ぶ傍ら漢学や詩を学び、国内勧業博覧会などで早くから数々の賞を受賞した。明治40年の文展開設後は、文展帝展に格調高い美人画を出品し続け、内外の展覧会で受賞を重ねた。東京の池田蕉園、大阪の島成園らとともに閨秀の三園と称された。昭和19年帝室技芸院となり、美人画だけでなく、その香り高い精神性の女性表現によって昭和23年には女性最初の文化勲章を受章している。(「京都の日本画−京都画壇の俊英達−」図録 2001年)

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