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山内春暁人



「山の湖」



山本鼎



山本淑生



山本敬輔



山元春挙



山本貞



山本豊市



山本正道



山本容子



病みあがり:ルペール夫人



ヤンケ



ヤーン



ヤーン



湯浅桑月



ゆあみするシュザンヌ[ジャン=バティスト・サンテールの原画による]



幽遠



優雅な会話[ニコラ・ランクレの原画による]



結城正明



遊魚


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 作家(1701)

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こらー ぴねる

ブロンシア・コラー=ピネル

1881年、彫刻家ローベルト・ラープおよびアロイス・デルークのもとで勉強。1885年、ミュンヒェン美術アカデミーでルートヴィッヒ・ヘルテリッヒに師事。1890年、ウィーンに戻る。1894年、キュンストラーハウスの展覧会に初出品。1895年、女権論者マリー・ランク、ルー・アンドリアス・サロメと知り合う。1896年、フーゴ・コラーと結婚。1900年、ニュルンベルクのルートヴィッヒ・キューンのもとで銅版画を勉強。1903年、ウィーンに移住、コロマン・モーザーと知り合う。1908年、クントスシャウに木版画を出品。1909年から1910年、ヤークトアウスシュテルンクに出品。1911年、ミートケ画廊の傑作展にハインリッヒ・シュレーダーと共に出品。1912年、ヨーゼフ・ホフマンおよびコロマン・モーザーの設計した住宅の室内装飾をデザイン。1914年、ライプツィヒの国際書籍印刷展覧会に参加。夫と共にイタリア、スイス、パリ、ベルリンに旅行、各地でモダニズムの美術家と知合い、彼らの作品を見る。オーバーヴァルタースドルフの自宅が 美術家の集まりの場となり、グスタフ・クリムト、コロマン・モーザーヨーゼフ・ホフマン、ユリウス・ビットナー、フリードリッヒ・ケーニッヒアドルフ・ベーム、グスタフ・マーラー、アルマ・マーラー、ルドルフ・フォン・ラリッシュ、フランツ・フォン・ツューロウ、アルベルト・パリス・ギュータースロー、パウル・ヒンデミット、ルートヴィッヒ・ハインリッヒ・ユングニッケルエゴン・シーレ等々が行き来した。彼女は大判の多色木版画を制作、エゴン・シーレ夫妻を描き、夫フーゴ・コラーはシーレの肖像を描くが、完成しないうちにシーレが死去。ギュータースローが追悼文を書く。


カテゴリー:作家
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ロラーとは?【 作家名 】

ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。

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