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食前の祈り[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



植物のシルエット



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「キンレンカ」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「芥子」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「シクラメン」第1編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ニラ」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



『植物の装飾的応用』第1編、第2編 「ひまわり」第2編より



食物用かご



書斎のドンキホーテ



初秋


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はせがわ さぶろう

長谷川三郎

1906年山口県に生まれる。1924年大阪の信濃橋洋画研究所で小出樽楢重に師事。1929年東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業、渡米。ロンドン、パリ、イタリア各地を旅行し、1932年帰国。同年第19回二科展に入選(33年も)。1934年新時代洋画展の創立に参加。1936年上京した杉田秀夫と親交を結び彼のペンネームを「瑛九」と名付ける。1937年自由美術家協会の創立に参加、同協会展に55年までほぼ毎年出品。1940年茶道、座禅、俳句に専念する。1950年版画、拓本、書に興味をもち、船板による拓本作品を制作。1953年アメリカ抽象美術家協会より展覧会参加の招請を受け「日本アブストラクト・アート・クラブ」設立。翌年渡米、ニューヨーク近代美術館「現代世界のおけるアブストラクト・アート」シンポジウムに日本代表として出席。1955年カリフォルニア美術工芸大学及び東洋文化研究所より招かれ、美学・美術史を講義する。1957年サンフランシスコで客死。(「ピカソと日本」図録 1990年)


カテゴリー:作家
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川合玉堂とは?【 作家名 】

1873年愛知県に生まれる。1957年没する。本名芳三郎。京都に出て、望月玉泉に師事。玉舟の号を与えられた。明治23年(1890)第三回内国勧業博覧会に出品する際、玉堂と改号。同年、玉泉の許可を得て幸野楳嶺の画塾に移った。竹内栖鳳菊池芳文は同門。楳嶺の没後、明治29年(1896)に上京し、橋本雅邦に入門。日本美術院の創立に際して、師の雅邦とともに参加。受賞を重ねた。文展が開設されると審査員をつとめ、以後同展を中心に活躍した。東京美術学校教授、帝室技芸員、帝国美術院会員、帝国芸術院会員、日本芸術院会員を歴任。昭和15年(1940)には文化勲章を受賞した。(「近代日本画への道程 「日本画」の19世紀」図録 1997年)

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