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まりな エーリッヒ・マリナ
1888年から1894年、トロッパウで教師になるための勉強を経て、教職。1898年から1902年、ウィーン工芸美術学校でヴィリバルト・シュールマイスター、ルートヴィッヒ・ミニゲローデおよびアルフレート・ロラーに教わる。1902年、チューリンの国際美術展でヤーン・トーロープと出会う。グラフィック絵画研究所で自由画教室の助手を務める。1903年、工芸美術学校の契約教師になる。1906年、同校教授に就任。セントルイス万国博覧会で金賞を獲得。1915年から1916年、シュタインシェーナーの国立ガラス工業専門学校でデッサン科を教える。1919年から1925年、校外のヌードデッサン教室を担当。1925年から1930年、工芸美術学校で総合部門「人体造形研究科」を担当。1929年、政府顧問委員に任命される。1931年、オーストリア共和国の金勲章を受ける。1973年、ウィーンで回顧展。
カテゴリー:作家
シニャックとは?【 作家名 】 新印象主義の代表的な理論家シニャックは全くの独学で画家となっている。1880年代には、印象派のモネ、シスレー、ルノワール、ギョーマンらの影響を受けていたが、1884年にスーラの作品を見、さらに1885年にカミーユ・ピサロと息子のリュシアンに出会ってから、本格的に点描法を取り入れ、色彩論を学び始めた。ルイ・ゴンスがジョルジュ・プティ画廊で1883年に開いた日本美術回顧展やパリで開かれたその他の日本美術の展覧会(たとえば1883年と1884年の装飾美術中央連合での日本画家年次展を確かに観ているにもかかわらず、彼の作品にジャポニスムの影響が現れたのは1885年から1886年頃である。ピサロ父子やスーラ(スーラは1885年頃から日本美術の影響を受けている)や、1887年にパリで出会ったゴッホとの親交によって、彼の極東への関心は高まっていった。1885年に版画を始め、まずエッチングの制作を試み、ついで1888年に、新印象主義色彩論を取り入れた多色刷石版画を制作した。彼は浮世絵版画に見られるような大気の明るさと色彩効果を版画に表現しようとした。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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