ぐるぐるアートワード
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版画集〈恋人たち〉1. 準クラナッハ選集、“本日休演”による ファースト・ステート



版画集〈恋人たち〉12. …裸にされた花嫁 セカンド・ステート



版画集〈ジャズ〉1.道化師



版画集〈ジャズ〉2.サーカス



版画集〈ジャズ〉8.イカルス



版画集〈聖マトレル〉1.レオニー嬢



版画集〈聖マトレル〉2.テーブル



版画集〈聖マトレル〉3.長椅子のレオニー嬢



版画集〈聖マトレル〉4.修道院



版画集〈石版画集 点より 線より〉5. 線より1



版画集〈ダフニスとクロエ〉9.クロエの接吻



版画集〈ダフニスとクロエ〉11.真昼,夏



版画集〈ダフニスとクロエ〉17.フィレタスの教え



版画集〈ダフニスとクロエ〉41.ニンフたちの洞窟での婚礼の宴



版画集〈ダフニスとクロエ〉42.結婚



版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉1. 虹色のスカーフをつけたドリアン・グレイ



版画集〈ドリアン・グレイの肖像〉2. ホース・ランプ



版画集〈響き〉1.赤色の前の二人の騎手



版画集〈響き〉12.即興5



版画集〈響き〉21.騎士の道


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 作家(1701)

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カール・モル

1880年から1981年、ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールとエミール・ヤコブ・シンドラーに師事。1894年、キュンストラーハウス幹部。1897年頃、グスタフ・クリムトと友人になる。ウィーン分離派設立の話し合いが「カタコンベ(地下の墓所)」で行われる。同年、彼は設立メンバーとなる。分離派で開催される国外芸術家の殆んどの展覧会のオーガナイザーとなる。1898年から1905年、同展覧会に貢献。1898年から1901年、「ヴェル・サクルム」にも作品を提供。この頃に、彼の色石版画の殆んどの作品が制作され、その多くが「ヴェル・サクルム」に掲載されている。1900年、パリ万国博覧会に参加、「メゾン・モデルネ」を知る。数回の大規模美術展開催。1904年、ミートケ画廊の管理を引き受け、このことがウィーン分離派内の争いを深めることになる。1905年、クリムト・グループと共に分離派を脱退。1904年から1905年、ヨーゼフ・ホフマンとアルフォンス・ストックレーの間を取り持つ。1908年、クンストシャウの特別委員会で、1902年作の木版画シリーズ「ベートーヴェンの家」が展示され、その後1908年にウィーン工房から出版される。1909年、クンストシャウに参加。彼の家は、ウィーン社交界の中心であった。


カテゴリー:作家
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平福百穂とは?【 作家名 】

1877年秋田県に生まれる。本名貞蔵。四条派の画家である父の平福穂庵から手ほどきを受けた後、1894年(明治27)に上京して、川端玉章に師事する。1897年東京美術学校日本画科に編入学する。1900年、玉章門下の結城素明らと无声会を結成。1913年(大正2)の无声会解散後は、同年に国民美術協会の創立に加ったほか、1915年に川端龍子小川芋銭らと珊瑚会を結成する。一方文展にも出品し、1914年の第8回展で3等賞を受賞、第9回展で褒状を受け、第11回展では特選となる。1916年には、松岡映丘、結城素明、鏑木清方、吉川霊華らと金鈴者を結成し、翌年の第1回展から1922年の解散時まで出品する。1922年の第4回帝展、1926年の第7回帝展では審査員をつとめ、1930年(昭和5)に帝国美術院会員、1932年には東京美術学校教授となった。大和絵、南画、琳派や桃山時代の絵画、中国古代美術などを広く学ぶとともに、歴史故実も研究し、多彩な画風を展開した。(「大正の新しき波 日本画1910−20年代」図録 1991年)

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