ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


アッベマ



吾妻兼治郎



アデイェミ



アデイェミ



アトランタ1945+50



アトランタ1945+50



アトリエ前の庭



アドゴ



アドラー



アナツイ



アナパ



アバカノヴィッチ



アバロス



アフォラビ



アフリカセイ



アブウー



アブストラクション・クレアション



アブドゥラマーヌ



阿部展也



アベールディス


<前 (4/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


おるりく

エミール・オルリク

1889年から1891年、ハインリッヒ・クニールの私立絵画学校で学び、1891年から1893年、ミュンヒェン美術アカデミーにてヴィルヘルム・フォン・リンデンシュミットとヨハン・レオンハルト・ラーブに師事。1898年、英国旅行で木版画ウィルアム・ニコルソンと連絡を取る。同様に、仏旅行でフェリックス・ヴァラトンと知合う。1898年から1907年、色木版画に従事。1899年、ウィーン分離派のメンバーとなり、1905年、クリムト・グループと共に脱退。分離派の展覧会に参加。1899年から1900年及び1902年から1903年、「ヴェル・サクルム」にカレンダー、リトグラフ素描を提供、ライナー・マリア・リルケも寄稿している。本の装飾や、蔵書票の制作に従事。「ユーゲント」の協力者。1900年から1901年、アジア旅行へ、この旅行で日本の木版画芸術を学ぶ。1903年から1904年、ウィーンではクリムト・グループと親しくしていた。1904年、オットー・エックマンの後任として、ベルリン工芸美術館の附属学校に就任、1932年からはこの学校の教授となる。1912年、二度目の東アジア旅行。1918年、ブレスト・リトヴスクの和平交渉の際に画家を務める。1924年、米国へ旅行。1920年と1926年、パウル・カッシラー出版からベルリンの著名人の肖像画を纏めた書籍二冊を出版。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

ユンクとは?【 作家名 】

1885年、チェコのモラビア地方ミクロフに生まれる。1901−08年、ウィーン工芸学校に在学。A.ロラー、F.ミュルバッハ、C.O.チェシュカ、B.レフラーに師事。学生時代、動物アルファベットの木版画集を発表(ユリウス・ツァイトラー出版社、ライプツィヒ、1909年)。キャバレー・フレーダーマウスのために、プログラムやポスターをデザイン。その結果ローゼンバウム社に採用され、広告印刷物のデザイナーとして関わる。『ヴェル・サクルム』誌、『エルトガイスト』誌、最初のオーストリア表現主義の雑誌『デア・ルーフ』誌等。ウィーン海外通信紙やコミカル紙のイラストレーターを務める。ミートケ画廊「ディ・ユンゲン展」(1906年)、「クンストシャウ」(1908年)に参加。ユンクは著述家としても活動しており、A.レッスラーは『労働者新聞』等に彼の戦争日記の抜粋を掲載。ウィーン工房のためのポストカードや他の印刷物をデザインし、ウィーン工房年鑑にイラストを掲載。ロープマイヤー社のためにガラスや彫刻のデザインを、ローゼンバウム社のために美術印刷物を制作。1915年カルパチアで歿。(「ホフマンウィーン工房展」図録 1996年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

ユンク

キーワードを含む記事
11件見つかりました。

  ペーター・アルテンベルク

  「キャバレー・フレーダーマウス」プログラム

  フェリックス・ザルテン

  アルトゥール・シュニッツラー

  「ディ・フレッヒェ 第1巻」

  エアハルト・アマデウス・ディール

  フランツ・カール・デラヴィラ

  ヘルマン・バール

  モーリッツ・ユンク

  ルドルフ・ユンク

  「ユンク・ヴィーン」


<前   次>

徳島県立近代美術館2006