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りっくす うえの フェリーチェ・リックス=ウエノ
1913年から17年、ウィーン工芸美術学校で、オスカー・シュトゥルナート、ヨーゼフ・ホフマンらに師事。1915年、モード展、1920年、クンストシャウ、1925年、アール・デコ国際装飾・工芸美術展(パリ)、1929年から1930年、空間芸術家展、1930年、工作同盟展等の展覧会に参加。ウィーン工房のメンバー。上野伊三郎と結婚し、日本に滞在、京都市立芸術大学の教授を務める。インターナショナル美術専門学校を創設、群馬県南崎の工芸試験場嘱託。オーストリア工作同盟、ウィーン女性美術家同盟のメンバー。ウイーン工房では、陶磁、テキスタイル、ガラス彩色などを製作。1914年から1915年、モード・デッサン集「ディ・モーデ」に参加。
カテゴリー:作家
ラスケとは?【 作家名 】 1892年から1898年、ウィーン工科大学でカール・キューニッヒに師事。1897年、イタリアに研究旅行。1899年から1901年、ウィーン美術アカデミーでオットー・ヴァーグナーに師事。建築ディレクター、ヘルマン・ミュラーのもとで実践を積む。最初は父親のアトリエで、後に独立して、賃貸住宅やウィーンの邸宅、とりわけ、ケルンテン、ドレスデン、メーレンのエンゲル薬局、などの建築に従事。キャバレー「ナッハトリヒト(常夜灯)」の内装と装飾。1904年、はじめてエッチングを試みる。1905年、ユングブント展に造形作家として参加、その際、室内デザインにも従事する。1907年、ハーゲンブントのメンバーになる。多くの展覧会設備のデザインを請負う。1910年、「ノアの箱舟」、1913年、「パラダイス」、「小鳥のお説教」。1911年から1918年、頻繁に旅行をする。第一次世界大戦の際には、戦争画家として様々な戦線に赴く。1919年、「ノアの箱舟」のフリーズ(壁面上部の帯状装飾)、エッチング「ファースト・インプレッション」。1920年、初めて劇場の演出を試みる。1924年、ウィーン分離派メンバー。1928年、ウィーン紙大賞を受賞。キュンストラーハウスのメンバーとなる。ウィーン市から1931年、1948年に受賞。トーマス・マン、ヨハン・ネポムック・ネストロイ、フェルディナンド・ライムンド、アルトゥール・シュニッツラーらの作品のリトグラフと本の挿絵を制作。 |
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