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りっくす うえの フェリーチェ・リックス=ウエノ
1913年から17年、ウィーン工芸美術学校で、オスカー・シュトゥルナート、ヨーゼフ・ホフマンらに師事。1915年、モード展、1920年、クンストシャウ、1925年、アール・デコ国際装飾・工芸美術展(パリ)、1929年から1930年、空間芸術家展、1930年、工作同盟展等の展覧会に参加。ウィーン工房のメンバー。上野伊三郎と結婚し、日本に滞在、京都市立芸術大学の教授を務める。インターナショナル美術専門学校を創設、群馬県南崎の工芸試験場嘱託。オーストリア工作同盟、ウィーン女性美術家同盟のメンバー。ウイーン工房では、陶磁、テキスタイル、ガラス彩色などを製作。1914年から1915年、モード・デッサン集「ディ・モーデ」に参加。
カテゴリー:作家
浅井忠とは?【 作家名 】 東京都に生まれる。1863年父の死去のため家督を相続し佐倉に帰郷。翌年佐倉藩の絵氏黒沼槐山に花鳥画を学ぶ。1873年上京し、箕作塾で英学を学び、1876年国沢新九郎の彰技堂に入門。初めて西洋画の初歩を学び、工部美術学校に入学してフォンタージに師事する。1878年フォンタネージの帰国後、後任のフェレッティを不満として美術学校を退学。1899年明治美術界を創立。1898年東京美術学校教授となる。1900年渡仏し、パリ近郊のグレーなどに滞在。1902年パリを立ち、イタリア、ドイツ、イギリスを巡歴して帰国。東京美術学校を辞し、京都工芸学校教授に就任して京都に移る。1903年自宅に聖護院洋画研究所を創設。1906年関西美術院を開設し、初代院長となる。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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