ぐるぐるアートワード
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ぐるぐるもくじ


海景−「聖クレア」シリーズより



回顧作品その2−ピンポン・ルーム, 1960−



海藻



階段をおりる裸体 No.2



甲斐庄楠音



海浜遠望



海浜風物図



解剖学



買物帰りの女[ジャン=シメオン・シャルダンの原画による]



海陸戦斗図



帰り来る舟



花下躍鯉図







かがみ込んだ裸婦



鏡の前の装い



輝く光の中 No.4



かきつばたと蛙『エスタンプ・オリジナル』誌第8号より



書きものをする娘



郭子儀



角ばった肩の生きもの


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 作家(1701)

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ろらー

アルフレート・ロラー

ウィーン美術アカデミーでクリスティアン・グリーペンケールに師事。1897年、ウィーン分離派の創設に参加。「ヴェル・サクルム」第7号から編集に参加。第1〜7号の扉絵のほか、多数の挿絵を描く。また、シュレフォークト展のポスターおよび雪山登山鉄道のポスターの文字は、モダンなレタリングの出発点となる。1899年、ウィーン工芸美術学校教授。1899年から1903年、ウィーン分離派展の一連のポスターを制作。第14回展「クリンガー/ベートーベン特別展」には、カタログデザインのほか、「歌う夜」も出品。1905年、クリムト・グループと共にウィーン分離派を脱退。1897年から1907年、ウィーン宮廷オペラ劇場でグスタフ・マーラーの指導の間、舞台監督を務める。舞台作りに斬新なアイデアを駆使、特にリヒャルト・シュトラウス作のオペラの初演には型破りの舞台を作る。また、マックス・ラインハルトのためにも働く。クンストシャウには舞台設計(特にフーゴー・フォン・ホフマンシュタールの「オディプスとスフィンクス」等)で参加。1909年、ウィーン工芸美術学校校長。ウィーン工房ではヨーゼフ・ホフマンに協力。1918年、ウィーン宮廷オペラ劇場の舞台監督。


カテゴリー:作家
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ロースとは?【 作家名 】

12歳のとき、難聴になる。ライヒェンベルクの国立工芸学校の建築技術科、1890年から1893年、ドレスデンの工科大学で学ぶ。1893年から1896年、米国に滞在、1893年にはシカゴ万国博覧会を訪れる。H.サリヴァンと知り合う。1896年以降、ウィーンで建築家として働く。1897年以降多くの新聞雑誌の記事に、製品デザインと建築における、即物的な造形の基本理念を述べている。1898年、「ヴェル・サクルム」に、「ポチョムキン的な街」を発表する。1899年、質素で最新、機能的なデザインの最も初期の一例である、カフェ・ミュージアムの室内インテリアに携わる。同様に、彼が内装設計した「ケルントナー・バー」は、俗に「ロースバー」と呼ばれ、今日に至るまで大々的には変わることなく維持されている。彼の著述においては、装飾への彼自身の考え方に対しても、仲間たちに対してや名前の表記の仕方(彼は氏名を全て小文字で現す)に関しても、妥協を許されていない。1908年、講演「装飾と罪悪」では、彼の願望の一部分を現している。すなわち、合理化と余剰なもの−とりわけ装飾における−の放棄による、労働時間の短縮と、それによって得た自由な時間のことである。彼は幾何学的な装飾を、装飾の悪習と呼んでいる。1910年から1911年、ミヒャエーラープラッツにある邸宅の建築。これについては多く議論され、激しく拒絶されることになる。1912年から1914年、アドルフ・ロース建築学校が設立される。1921年、五十歳を祝して、仏で彼の著作物が蒐集された後、出版される。晩年、完全に耳が聞こえなくなり、1931年、重い神経症にかかる。自分の墓石の碑文には、「人類を無駄な労力から解放する・・・アドルフ・ロース」と刻むよう望んでいた。

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