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ざるてん フェリックス・ザルテン
本名はジーグムント・ザルツマン、文芸・学芸ライター、ウィーン、ブルグ劇場の批評家。「ユンク・ウィーン」グループに属し、1927年から1933年、オーストリアPENクラブ(P.E.N.=“Poets、Essayists、Novelists”の略)の会長。1939年、スイスに亡命。ザルテンは「バンビ(1923年作、ディズニーが1942年に映画化)」で近代動物小説に影響を与えた。1906年、ウィーンの売春婦を描いた小説「ジョゼフィン・ムッチェンバッヒャー」で作家と見なされるようになる。
カテゴリー:作家
鹿子木孟郎とは?【 作家名 】 1874年岡山県に生まれる。1888年岡山高等小学校を卒業、松原三五郎の天彩画塾に学ぶ。1892年上京して小山正太郎の不同舎に学ぶ。1900年渡米、翌年イギリスを経てパリに留学。ジャン・ポール・ローランスに師事する。1903年ベルギー、スイス、イタリアを巡歴。翌年帰国、京都高等工芸学校講師となる。また太平洋画会に参加し多くの作品を発表。1905年浅井忠らと関西美術院を設立。翌年再び渡仏、サロンに入選。文展審査員に選ばれ、第7回文展まで審査員をつとめる。1916年渡仏、1918年帰国し京都に下鴨画塾を開設。1924年帝国審査員となり以後歴任。1932年仏政府より勲章を受ける。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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