ぐるぐるアートワード
データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。
ぐるぐるもくじ


白い日



「白地に黒」



「新−観念論」



新印象主義



深淵河童乱舞図



新海竹蔵



新海竹太郎



新古典主義



深山湖情 I



深山湖情 II



深山秋色図



深秋



新造形主義



死んだ人がわたしを産んでくれた(昭和40年7月27日母死す)



死んだ人がわたしを産んでくれた(昭和40年7月27日母死す)



シンデレラ(宮廷舞踏会)



侵入者



真の円形シャワー



新聞「ル・プティ・ドーフィノワ」



シンプソン


<前 (76/186ページ) 次>

●もくじのさくいん

    

    

記事カテゴリ

 すべて

 作家(1701)

 作品(1851)

 美術用語(163)

 その他(1)


しゅふぃんすきー

ヴィクトル・シュフィンスキー

ウィーン工芸美術学校で、フラコヴィーナ、ミニゲローテ、フェリシアン・フォン・ミルバッハ、リンケ博士に師事。1903年から1905年、版画教習所で助手、1905年から1915年、ズナイムの帝国陶芸専門学校で教職を務める。1918年以降、ウィーン工芸美術学校で教師。戦時中の1914年から1917年制作のリノリウム版画12点「自由の喜び」、多色石版印刷「鉄橋からのズナイム」(ブリュンのライナー美術館が発行)、石版画「馬と馬丁」、戦争を題材にした木版画5点、多色石版画4点「新漫画新聞」(戦争里親のために発行)、著作「我等の若者と戦争」−自身と妻リーナの詩をつけた絵本。プラハのA.ハーゼ刊、国家紙幣、郵便切手などの原画デザイン。


カテゴリー:作家
  いまクリックまたは、検索したキーワードの解説

五姓田義松とは?【 作家名 】

1855年東京都に生まれる。チャールズ・ワーグマンに入門。1874年横浜から東京に移り、家塾を開く。1876年工部美術学校に入学し、フォンタネージの指導を受ける。翌年工部美術学校退学。同年の第1回内国勧業博覧会に出品し鳳紋賞を受ける。1880年渡仏。フランスでレオン・ボナに師事する。1882年パリのサロンに入選。翌年にも再び入選する。1887年ロンドンに移り、その後アメリカに渡る。1889年帰国し、明治美術会の結成に参加。1890年父芳柳と共にアメリカへ行く。同年帰国。また、この年の明治美術会第2回展に出品。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年)

  画面右にこのキーワードの再検索結果が表示されています。そちらもご覧ください。

キーワード検索




けんさくけっか

キーワード

五姓田義松

キーワードを含む記事
4件見つかりました。

  川端玉章

  五姓田義松

  二世五姓田芳柳

  チャールズ・ワーグマン


<前   次>

徳島県立近代美術館2006