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しゅとるば レオポルト・シュトルバ
1879年から1981年、ウィーン美術アカデミーで、カール・クントマン、ジグムント・ヘルマーらに彫刻美術を学ぶ。絵画やグラフィックには、後に興味を持つようになる。1900年、ウィーン分離派、ヨーゼフ・エンゲルハルトに支援を受け、なかでも1902年には、分離派の第14回展覧会でモザイクの作品を出品するようになる。1902年、「ヴェル・サクルム」の編集委員会に参加、5号と14号の表紙カバーのイラストを担当。1903年、第17回展覧会、「ヴェル・サクルムの部屋」に展示した彼の含浸紙の作品が特に一目を惹く。編集委員会メンバーとして更新され、3号と16号に絵画作品を、16号と23号には表紙カバーを提供している。1904年から1905年、第20回、第23回分離派展ポスターの制作。特に、カリカチュア、風景画、自然主義的な水彩画などを制作した。1958年、ウィーン美術アカデミーにて彼の構造的な絵画の展覧会が開催されている。
カテゴリー:作家
川上冬崖とは?【 作家名 】 1827年長野県に生まれる。江戸に出て大西椿年に学び岸太郎と称する。蕃書調書に入り、絵画取調出役、画学出役となって洋画法を研究し、後進を指導。明治維新後、大学南校(東京大学の前進)、文部省、陸軍兵学寮、陸軍参謀局に勤める。第1回、第2回内国勧業博覧会美術部の審査主任。1870年下谷に私塾聴香読画館を設けて青年たちに西洋画法を教える。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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