![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| データベースを使った楽しいサービスです。文中のキーワードをクリックすると、解説文があらわれ、同時に検索結果が表示されます。ぐるぐるキーワードをたどって遊んでみてください。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
てしゅなー リヒャルト・テシュナー
1896年から1899年、プラハ・アカデミーで勉強、ヴェンツェル・ブロツィークに師事。1900年から1901年、カール・カルガーの工芸美術学校で学ぶ。1901年、プラハで市立美術学校を創設、本挿絵画家として活動。グスタフ・マイリンク、パウル・レッピンおよびオスカー・ヴィーナーのサークルと交流。1903年、マリオネット制作を開始。1905年から1906年、フーゴー・フォン・ホーフマンスタール作「痴人と死」の舞台用マリオネットを制作。1908年、舞台装置家として活動、プラハ・ドイツオペラ公演「ペレアスとメリザンテ」の飾付け、衣裳およびポスターを制作。美術工芸教習所を設立。1909年、ウィーンに移住。クリムトグループに参加、ウィーン工房に協力、塑像、絵葉書12点、金細工、ゴブレットをデザイン、アントワネッテ・カーラー作児童書「トビアスもっと速く」の挿絵を描く。1908年から1909年、クンストシャウにマリオネットで参加。1912年、ゲルストホーフにアトリエを持つ。自分のマリオネットシアターで初演(グスタフ・クリムト、アルフレート・ロラー、コロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマン共作「人形の舞台」および「金の棺」)。童話的、神話的なマリオネット劇のシナリオ(たとえばジャワを題材にしたもの)を書く。1917年には、1900年頃から続けてきた銅版画でシリーズ「千一夜物語」が完成。1917年から1918年、自分のマリオネットシアターで、当初マックス・ラインハルトのために企画した「クリスマスの遊戯」を上演。1919年から1920年、オーストリア国立工芸美術館の特別展に参加、そこで、「金の棺」が公の場で初めて上演される。1921年、教授就任。1926年、ウィーン市芸術賞受賞。1931年、「人形の舞台」を「人形劇」に改称。1934年、ロンドンに遠征公演、独自のマリオネットで国際的名声を得る。
カテゴリー:作家
デフォルマシヨンとは?【 美術用語 】 変形、歪形。造形芸術で、自然の対象を変形して表わすこと。遠近法、短縮法、プロポーション、美術解剖学などの知識に基いて形態、空間、量的表現を正確に再現する写実より、芸術家の造形意志が重視される。これにはより自然に見えるための歪形も含まれる。しかし、近代美術では、芸術家の主観を強調し、観る者に強く訴えるために、形やプロポーションや空間的秩序を意識的に変形して独自の造形的秩序を造り出すことが盛んに行われ、セザンヌをはじめ、ピカソ、ダリ、モディリアーニなど、キュビスム、シュールレアリスム、表現主義などの造形的特色となっている。しかし、それ以前にも、エル・グレコらのマニエリスムの絵画、ドナテロやミケランジェロの彫刻、建築の枠に規制されたロマネスク時代の柱頭、二次元性を強調した東方的造形(古代エジプト美術、東洋絵画)など広く認められる。いずれにせよ、どのような美術作品も事物の厳密な三次元的複製ではありえないから、ほとんどの美術作品はこの「歪形」を行っているといえる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||