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うひゃちうす マリー(ミッツィ)・フォン・ウヒャチウス
1900年から1906年、ウィーン王立工芸美術館付属の美術学校で学ぶ。美術専門学校でカール・オットー・チェシュカおよびフェリシアン・フォン・ミルバッハに師事(解剖学)。1903年、ニュルンベルクのバイエルン州立工芸美術館のコンクールで初受賞。この時から、木製玩具のデザインを始める。無数の木製動物を乗せた作品「ノアの箱舟」に対し報奨金を受ける。1906年から、ミルバッハの推薦によりパリに旅行、同地でグービル出版社の依頼により木製動物玩具をデザイン、また、動物雑誌数誌の表紙絵の木版画を制作。引続き、ニューヨークで応用芸術歴史博物館のための制作を開始。ホームシックのため、まもなくオーストリアに戻る。1908年、公共労働省の命令により、グルーデン、ザンクト・ウルリッヒのデッサン彫刻学校で教える。1910年、大学出の彫刻家ツァイラーと結婚、インスブルックの国立工芸学校に赴任。同校の教授として図画教室の指導を引き受ける。引続き、ザンクト・ウルリッヒで10年以上教職。マリア・フォン・ウヒャチウスは、ウィーン分離派創設者たちの後継世代の代表的グラフィックアーティストの1人である。彼女の仕事は、自然への深い理解に基づいており、森羅万象の多様さの中から生き物の原型を取り出す努力が作品に現れている。70年の生涯をパターンアート一筋にかけたのである。
カテゴリー:作家
クロッキーとは?【 美術用語 】 短時間のうちに、鉛筆、コンテ、木炭などで写生した絵、または素描のこと。速写、あるいはスケッチともいわれる。これは、作品制作の途中で、作家がその着想や閃きを、簡単な材料でひとまず客観化するために、その形態の骨子を描き留めておこうとするときに描かれる。輪郭が重要であることは言うまでもないが、陰影や色彩などを多少伴うことがある。クロッキーは、作品完成のための準備作業の産物ではあるが、作家の創造意欲が最初に形態となって示されるため、生き生きとした創造の営みに、より直接的に触れることのできるものだと言われている。線画と混同されやすいが、線画は輪郭を基調とする絵画を意味するものであり、区別されねばならない。 |
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