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つぇれつにー フランツ・ツェレツニー
1880年から1883年、ウィーン国立工芸学校およびウィーン工芸美術学校で勉強、アントン・ブレネークに師事。卒業後、実父のアトリエで見習い。パリに研究旅行。1891年、独立。1892年から1896年、キュンストラーハウスの展覧会に出品。1898年、ウィーン分離派に参加。1898年から1907年、オーストリア国立美術館の冬季展に出品。1899年、ヨーゼフ・エンゲルハルトの彫像「アダムとイブ」の制作に協力、その原型を木で作る。オルブリッヒの自らの設計による別荘の階段踊り場のための木版画を制作。1900年、パリ万国博覧会に出品、金賞を獲得。以降、多数の展覧会に出品。1907年から1908年、フィラッハの木工専門学校の教授を務める。その後、ウィーンに戻り、フリーの作家として活動。1908年、皇帝記念式典のためにフランツ・ヨーゼフ一世の胸像を制作。
カテゴリー:作家
山本鼎とは?【 作家名 】 1882年愛知県に生まれる。1906年東京美術学校西洋画科選科を卒業し、翌年石井柏亭、小林未星らと雑誌『方寸』を創刊する。1912年渡欧、1916年帰国、翌年日本美術院洋画部同人となる。1918年戸張孤雁と日本創作版画協会を創立して創作版画の発展につくし、翌年長野県小県郡神川村に日本農民美術研究所を設立。また自由画運動を推進するなど多方面に功積を残した。1920年日本美術院を脱退、翌年自由学園美術部教授となる。1922年春陽会創立に参加して会員となったが、1935年帝国美術院参与に推されて春陽会を脱会するが、1943年春陽会に復帰。(「みづゑのあけぼの 三宅克己を中心として」図録 1991年) |
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