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くーん ハンス・ペーター・クーン
1952年 キールに生まれる。1978年以降 ロバート・ウィルソンと共に、劇場、映画、展覧会のために30点以上を制作。1989年以降 ローリエ・ブース、花柳壽々紫、スティーヴ・パクストン、ダナ・ライツ、和田淳子のための舞曲。1990年 『怪しき土地』の音楽制作がニューヨークのベッシー賞受賞。1991年 ベルリン、ベターニエン・キュンストラーハウスのアトリエに滞在。1992年 「ベルリン市政府のアトリエ計画」ニューヨーク、PS1美術館。1993年 ロバート・ウィルソンと共に制作したインスタレーション「記憶/喪失」によってヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞受賞。1994年 大阪の花柳壽々絹賞。1996年現在、ベルリン在住。
カテゴリー:作家
シニャックとは?【 作家名 】 新印象主義の代表的な理論家シニャックは全くの独学で画家となっている。1880年代には、印象派のモネ、シスレー、ルノワール、ギョーマンらの影響を受けていたが、1884年にスーラの作品を見、さらに1885年にカミーユ・ピサロと息子のリュシアンに出会ってから、本格的に点描法を取り入れ、色彩論を学び始めた。ルイ・ゴンスがジョルジュ・プティ画廊で1883年に開いた日本美術回顧展やパリで開かれたその他の日本美術の展覧会(たとえば1883年と1884年の装飾美術中央連合での日本画家年次展を確かに観ているにもかかわらず、彼の作品にジャポニスムの影響が現れたのは1885年から1886年頃である。ピサロ父子やスーラ(スーラは1885年頃から日本美術の影響を受けている)や、1887年にパリで出会ったゴッホとの親交によって、彼の極東への関心は高まっていった。1885年に版画を始め、まずエッチングの制作を試み、ついで1888年に、新印象主義色彩論を取り入れた多色刷石版画を制作した。彼は浮世絵版画に見られるような大気の明るさと色彩効果を版画に表現しようとした。(P.F.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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