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じーふぇあでぃんぐ カタリーナ・ジーフェアディング
1944年 プラハに生まれる。1963-64年 ハンブルグ造形芸術大学で学ぶ。1964-67年 デュッセルドルフ、州立美術アカデミーで学ぶ、テオ・オットーに師事。1963-67年 舞台でのインスタレーション:ハンブルク:ドイツ劇場、ヴィーン:ブルク劇場、デュッセルドルフ劇場、ベルリン:ドイツ歌劇場、ザルツブルク音楽祭。1972-88年 デュッセルドルフ国立芸術アカデミーでヨゼフ・ボイスに師事、彫刻研究と専門職業教育。1972-92年 アメリカ合衆国、中国、ソ連に研究滞在。1990-92年 ハンブルク造形芸術大学客員教授。1992年 ベルリン芸術大学教授。1994年 ドイツ批評家賞、ベルリン。1996年現在、デュッセルドルフ在住。
カテゴリー:作家
ラムとは?【 作家名 】 アイオワ州ティプトン生まれのラムは、ノードフェルト同様、ジャポニスムの真っ只中、シカゴのアート・インスティテュート・アートスクールで学んだ。初めて実験的な木版画を制作したのは、日本への新婚旅行で木版の道具を手に入れた後の1905年頃である。1907年に再び日本を訪れたラムは、今度は彫師の伊上凡骨(1875−1933)の下で3カ月間、伝統的な木版画の工程を学び、その後3年間はその手法を生かしてアメリカで制作した。1911年から1912年にかけて再来日した折には、東京で彫師と摺師を見つけ、集中的に自分の作品の制作に励んだ。ラムの木版にかける熱意に打たれた師の伊上凡骨は、「おそらく日本の多色摺木版芸術は外国人たちに乗っ取られてしまうだろう!」と、日本人が木版を低級な複製技法として蔑んでいる事実を嘆いている(「木版画の真価」『早稲田文学』7、1907年5月)。ラムが日本で活動した時期は、ちょうど創作版画運動の初期と重なったが、彼女の独創的な木版作品は日本の同時代の作家に多大な影響を与え、日本における木版の見直しの端緒となった。(M.Y.)(「世紀末から 西洋の中の日本「ジャポニスム展」図録) |
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